波佐見陶磁器工業共同組合
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歴史とNEW WAVEの新しい伝統、波佐見焼
 
波佐見焼の紹介

 

波佐見焼の歴史
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波佐見焼の歴史
 
庶民食文化、発祥の地−肥前・波佐見
 
慶長4 年、波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田の3か所に連房式階段状 登窯を築き、やきものづくりを始めました。これが波佐見焼の始まり 今から約400年前のことでした。

波佐見焼といえば、染付と青磁が中心ですが、初めは施釉陶器を生産 していました。その後、村内で磁器の原料が発見され、しだいに染付 と青磁を中心とする磁器へ移行。ついには大村藩の特産品となり、江 戸後期には染付の生産量が日本一に。こうして波佐見焼は、染付・青 磁ともに大生産地に発展してきたのです。

皿山役所を設置し、磁器の生産に力を入れる大村藩。製造されるほとんどは日常食器で、唐草模様を筆で簡単に描いた「くらわんか碗」と呼ばれた丈夫で壊れにくい、厚手で素朴な製品は波佐見焼の代表になりました。この波佐見焼の食器づくりは、庶民の食文化を大きく変え、生活を豊かに彩り、私たちの暮らしになくてはならない身近なものになっていったのです。

巨大な連房式登窯で生産をし、手頃な価格で全国へ、 また、海外へと販路を広げていった波佐見焼。その歴 史の数々は、町のあちらこちらに残された登窯跡が物 語っています。

そして、常に新しい技術に取り組みながら、良質の日 常食器をつくり続ける土と炎の伝統は、今も確実に息 づいているのです。
日本の食文化を支えた「くらわんか碗」
 
●江戸時代から続く、庶民の日常食器。
簡単な染付紋様を描いた器・くらわんか碗は、波佐見焼の歴史を知るうえでも欠かせないもののひとつです。この名前は、江戸時代、摂津の淀川沿いの船に、小舟で近づき「餅くらわんか、酒くらわんか」と言って売った商人その言葉から名づけられました。
くらわんか碗
土もの風の少し粗い素地と簡素な絵柄で、手頃な金額で売ら れたくらわんか碗は、たくさんの庶民の人気を得ました。磁器碗は高級なもの、庶民には手が届かない、という当時の常識を大きく変え、日本の食文化の発展に大きな影響を与え ました。そして、手軽で良質な暮らしの食器を供給するとい う波佐見焼の姿勢は、400年たった現在を変わることなく貫かれています。

●くらわんか碗が放つ謙虚な美しさ
庶民の器として世に出たくらわんか碗ですが、素朴な中にも 巧みな雅さがあると、一部で熱狂的に愛され、後には他の産 地もこれを模造するほど、多くの人に認められるようになりました。その独特の美しさは、庶民のために庶民が作ったと いうことに尽きます。時代の流れとともに、社会の環境や価値観も変わり、くらわ んか碗もしだいに作られなくなっていきました。しかし『暮らしの中の波佐見焼』の役割りは、別の形となって、今も脈々と生き続けているのです。
トルストイも愛用した「コンプラ瓶」
 

●はじまりは、酒・醤油の輸出容器だった。
染付白磁の、燗付徳利に似たコンプラ瓶。別名”蘭瓶”とも呼ばれ、オランダ人やポルトガル人を相手にした仲買商人「金富良商社」によって輸出されたので、その名が付いたといわれます。コンプラ瓶には、オランダ語でJAPANSCHZOYA(日本の醤油)、JAPANSCHZAKY(日本の酒)と書かれた2種類があります。 日蘭貿易の最盛期・1650年頃から明治末期頃まで、醤油・酒などを入れて、オランダ東インド会社により、東南アジアやオランダ本国に、長崎・出島から盛んに輸出されました。独自のデザインとしゃれた洋文字はオランダ人の注文で、どっしりとした形は安定を考えたものといわれます。

●波佐見と海外を結ぶ掛け橋に。
コンプラ瓶には、たくさんのロマンが秘められています。たとえば、ジャガタラお春の調度品に含まれていたとか、フランスも皇帝ルイ14世が愛用していたとか、ロシアの文豪・トルストイが自室の書斎の一輪挿しにしていたなど、興味の話題はつきません。 大村藩は、1665年から1873年までの約200年間、皿山役所を開設し、波佐見皿山の発展に力を注ぎ、今日の波佐見焼の隆盛を築く礎となったのです。そして貿易に携わった「金富良商社」は、皿山役所のもとで急速に成長し海外へ進出しました。 波佐見と海外を結ぶ大きな架け橋であったコンプラ瓶の存在は長崎出島のロマンとともに、現在も尚、語り継がれています。
コンプラ瓶
伝統と新しさが巧みに調和−波佐見焼
 
波佐見焼の特徴は、透けるような白磁の美しさと、呉須(藍色)で絵付けされた「染付」の繊細で深い味わいにあります。そして、透かし彫りや編目模様の優雅さは波佐見焼ならではのものです。庶民の器として誕生した波佐見焼は、長い歴史の流れの中で、すばらしい伝統美を培ってきたのです。伝統の技と、これを伝承する心は、職人から職人へ、確実に受け継がれています。「くらわんか碗」と呼ばれる茶碗や皿、「三股徳利」など、たくさんの日用食器が生産され、伊万里商人の手によって江戸・大阪方面 に大量に売り出された波佐見焼。その時代の人々のさまざまな暮らしにあわせて、変化し、改良し、提案してきました。波佐見焼の400年の歴史は日本の食文化の歴史でもあるのです。
 
400年の伝統を誇る波佐見焼に「新しい息吹」「若い力」を吹き込むため、オランダ・フランスで活躍されている波佐見町在住のアーティスト稲垣二郎氏の指導を得ながら、感性を育む第一歩として、アート感覚を取り入れた焼き物づくりにチャレンジしています。心温まる「あかり」は、ホテルのロビーに、ブライダルホールに、格式高いゴージャスな雰囲気を演出します。